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イエマストーリー

イエマストーリー

1948

ヘンリー・ルイ・ベルモント

イエマは1948年にヘンリー・ルイ・ベルモントという時計師により設立されました。1931年、彼はブザンソン(フランスの東部にある都市)の国立時計学校へは首席で入学し、時計製造のオートメーション化を図った第一人者となりました。そして1948年にYEMA(イエマ)という時計ブランドを立ち上げたのです。
YEMA (イエマ) というブランド名はある一人の青年の想像から生まれました。ヘンリー・ルイ・ベルモントが自らのブランド名を決めるために催したコンクールに参加したこの青年は、 YEMA (イエマ)という名前がその後にフランス製の素晴らしい時計の代名詞になるということなど知る由もありませんでした。

1963

スーパーマンの誕生

最初のYema Supermanを発見するには、1963年に戻る必要があります。 300メートルの防水と安全ブレーキの停止(またはベゼルロック)のおかげで、ダイビングプロフェッショナルのために最初に開発された時計は、独特でユニークでした。破壊不能と見なされたスーパーマンは、フランス空軍がパイロットを装備する時に選択した。

1966

ヨッティングラフ の誕生

Yemaは1966年に生産された最初のYema Yachtingrafで、特にセーリングの世界向けに設計されています。この自動クロノグラフ(Valjouxムーブメント)は、200メートルまで防水し、レガッタタイムを示しました。
このモデルには、長年にわたり6つの異なるバージョンがありました。

1966

ラリーグラフの誕生

ラリーグラフの最初のモデルも、1966年の日を見て、特にカーレースの世界のために設計されました。これらのクロノグラフの1つは、フォーミュラ1ドライバー、マリオアンドレッティによって着用されました。この神話モデルには、いくつかのダイヤルのバリエーションがあります。

1966

イエマ 国際的な広がり

その年のCETEHOR(フランスの輸出検査状況報告)によればYEMAはフランス国内で第一の輸出数を記録し、この記録は1968年までの3年間続きました。500,000本以上のモデルが毎年が50か国へと輸出され販売されていったのです。

1982

フランスで初の宇宙へ向けたモデル

ソユーズT-6が1982年6月24日に打ち上げられ、ジャン=ルー・クレティエンは他のロシア人宇宙人飛行士らとともにサリュート7号を訪れ、そこで7日間近くを過ごしました。この飛行により、彼はアメリカ人以外の西側の初めての、また西ヨーロッパ人として初めての宇宙飛行者となったのですが、このジャン=ルー・クレティエンが身に着けていたのがYEMAの宇宙飛行用モデルであるSpatinauteIでした。

1986

ノースポールミッション

1986年にイエマは、歴史の最初の人間である北極を横断したフランスの冒険者ジャン-ルイ エティエンヌ800km挑戦に参加しました。冒険をサポートするために特別なツールウォッチが作られました。チタンケースのおかげで、極寒の気温にも耐えられるこのモデルは、磁北と太陽の航行時間を避けるシステムを持っていました。

2009

インハウスムーブメント開発

Yemaは、2011年に300万ユーロ以上の投資と4年間の研究開発を経て、Morteauのワークショップでフランス国内で完全に設計、開発、組み立てられた社内の自動巻機械式ムーブメントMBP1000をリリースしています。

2017

プロキシマスペースミッション

 フランスにとって10回目となる宇宙への挑戦は太陽に一番近い星にちなみProxima (プロキシマ)と名付けられました。フランスでは星や星座の名前から宇宙飛行士のミッション名を付けることは古くから行われていました。

2017年にはYEMAとCNES(フランス国立宇宙研究センター)と初めてのコラボレーションによりこのProxima (プロキシマ)にちなみSpacegraf発表されました。

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